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人を引き付けるということと、その人の価値って違うよねという話

先日、偶然ネット記事で昔の知り合いが団体を起こして活動しているのを知りました。

 

大学生時代、私は1年間ほど小学生向けの学習支援のボランティアに参加していたのですが、その時のメンバーの男性で、正直、あまり人間的に好きになれなかった人でした。

 

私より2つ年上だったので28歳のはずですが、脱サラして自分のやりたいことをやるってことらしいです。

 

そして、その人がやってる団体もやっぱり子ども支援系のようで、しかもそれが私がやりたいなと思っていたようなことにも少し近くて、

そういうことをもうやってる人がいるんだっていう先を越されてしまったような落胆と、しかもそれが「あの人か・・・」っていう複雑な気持ちになりました。

 

ここ数年、こうした若者が立ち上げた社会的意義を掲げた団体を数多く見てきました。

それは、私自身にも自分の中の理想を形にしたいとか、そういう志のようなものがあって、

そういう志を実現させるために大学まで努力してきて仕事を選んだはずだったのに、職場では何一つ大事にしたかったことを実現することができず、

やっぱり会社なんてだめだ、こんな人たちとこんな仕事をして時間を過ごしている場合じゃないなどと焦りまくった結果、

「団体を作る」とか「新しい支援の形を作る」とか、そういうのに異常なほど憧れを抱いてしまったんですね。

 

きっと、ほとんどの若い人は会社に入って年功序列の一番下になり、自分の理想や常識を木っ端みじんに踏みつぶされる経験をして、「こんなはずじゃなかった」という気持ちを抱くんですよね。

そして、先の見えない抑圧的な生活をしていると、若い人や先進的な考えを持った人だけで集まって、エネルギッシュに働いている人たちが無性に素敵に見えてしまう。

リーダーやその仲間たちがビジュアル的にも見栄えが良いと文句なしです(笑)

 

自分の会社の冴えない中高年上司の下で自分を押し殺しているのはもったいない、

私はもっと成長したいし、自分の力を発揮したいっていつも思ってました。

 

だから、いろんな団体のセミナーやイベントにお金を払って参加したし、

時には休日を割いてボランティアとして手伝いもしたし、いろんな人を知りました。

 

そして、今一つ結論として感じているのが、そうした活動をもてはやす社会への「違和感」です。

子どもの貧困支援、若者と向き合う、社会的マイノリティへの支援・・・。

どれも、とても高尚で社会に必要なもののように聞こえます。

でも、実際には、そういう活動をしていてメディアにとりあげられているような人でも、人間としてはとても良質とは言えないような人が結構たくさんいました。

具体的に感じたのは、「人を見下す」「計算高い」「自分をよく見せることにお金をかける」「二面性がある」などです。

 

つまり、ビジネスマンか芸能人のようなものですね。

志はもちろんある。けれども、もっと本質的なところに、

「他人に影響力を与える人間になりたい」とか、

「大勢の人の中心にいる自分が好き」などの自己顕示欲が原動力としてある人たちで、

しかも本当に人を引き付ける要素をたくさん持っていて、ある部分においては一定の成果を出せるんです。

 

そして、私もそういう人達に引き付けられてしまった一人・・・。

 

その結果、本当に不愉快な思いをして、結構な時間とお金を取られました。

純粋な気持ちで社会に貢献したい、自分自身を成長させたい、そしてあわよくば凄そうな人と一緒にいることで未来を切り開きたい・・・!

そんな無垢で無知な考えだったからこそ、そういう人たちに利用されたんだと。

 

今は、自分からそんな人達にすり寄るようなことをしてしまったことを猛烈に後悔し反省しています。

でもこの不都合な真実を知って、やっぱり許せないしほっときたくないなと思う気持ちもあるんです。

だって、質が悪い。傷ついている人や弱い立場の人への支援をうたいながら、陰では有名になることを楽しみ、お金を稼いで団体を大きくしようと考えている人たちに関わることで、

本当に支援を必要としている人たちがもっと傷つき、人生が更に困難なものになってしまうと思うと本当にやり切れません。

 

助けを求めてかえってそういう人たちに関わってしまう悲劇に見舞われる人が少しでも少なくなるよう、私が感じたことを少しまとめます。

 

●メディアで見栄えの良いものを信用しない

 →若い、美男美女、笑顔が素敵。これらはその人たちが良いことをしているということとは何のつながりもありません。

 

●大勢の人に囲まれている人を信用しない

 →若ければ若いほど、有名な人や社会的に権威のある人,あるいはそれらに繋がりがある人などを見ると凄いと思ってしまったり、大勢の仲間で何かやるって素敵だなと考えてしまいがちですが、これもまたその人達の本質的な価値とは関係ないですよね。

 

 

●言葉で語られる経歴や想いを鵜吞みにしない

 →これも、その人がどういう人なのかというのが現れるわけではなく、能力の一つだと思いました。自己演出がうまければいくらでも魅力的に見せられます。

 

でも、実際何歳になってもこういった要素に判断を左右されてしまう部分はありますよね…。

そこをついてくるのがメディアの時代ですし。

でもやっぱり、人生を豊かにするならば、素晴らしいと思うものは自分で決めて、心の交流ができる人と過ごすのがが一番だと思いました

焦らず、計算せず、失敗しながらも自分らしさを作っていければいいかなと思います。

「違和感」のある「凄い」人たちと出会うことで、自分の中の浅ましさや器の小ささ、そして価値観や人間性を発見し、そうはなりたくないと決めさせてくれたのだから、これも勉強ですね。

 

でも、子どものときには絶対に会いたくなかったなぁ。こういう人たちの思想や言葉がもっと心の奥深くに入り込むような心の状態だったら、ほんとに大変だった。

 

外国に行ったら、もっと多様な背景を持った人がいるんでしょうね。

楽しみでもあり、気を引き締めていかなきゃなと思います!

でも心を開いて、私という人間のままで堂々と日々を楽しむぞ!!