退職は、良い経験になる

カナダに行くにあたり、現在勤めている会社は退職します。

 

そのための手続きとか、給与や有給休暇の取得とか、各方面でやることいっぱい。

 

会社とのやりとりは、非常にナーバスになる。

会社は損をしたくないし、私は自分の権利を自分で主張して守らないといけない。

でも有給は不当に消されそうだし、給与や税金も会社に都合の良いように処理されそうで怖い。

昨日は話し合いで押されて、6月のボーナスをもらえない方向に話が進んでしまって、悔しくて泣いて帰りました。

 

やっぱり、私の過ごしてきた4年間は、空虚なだけの時間だったんだなと改めて感じています。

 

今の会社には特に会いたいって人もいないし、尊敬する人もいないし、

社外への人脈も全く持てないポジションでひたすら雑用をやってきただけの4年間。

それも、うちの会社の場合は「女性だから」という理由でそういう風に扱われてきました。

 

ずっと嫌で、こんなところにいたくないって思い続けて、なんとか脱出しなきゃってあがいて努力して、でも一方で律儀に半端に会社に忠誠も尽くして。

 

いったいなんだったんだろう。私は何がしたかったんだろう。

何に時間を使ってしまったんだろう。

 

同僚との関係も、初めての退職ということでやはり気にしてしまいます。

 

今までのしがらみを潔くすべて手放すつもりで決断したので、もう二度と会うこともない人たちなのだけど、でも人生なんてその繰り返しなのかもとこの頃急に思うようになったのです。

 

人生は年を重ねれば人との繋がりも増えていくものだと思っていました。

子どもの頃の繋がりが少ない私は、大人になったら人生に友や大切な存在を作っていこうと。

でも、同性異性問わず良い出会いがあったとしても、「ずっと続く」人なんてほとんどないんだなって思うようになりました。

 

昔の人と思い出を語り合うだけが人生じゃない。

私はまだ思い出を語り合うだけが楽しみな年齢じゃないし、

この先を見つめていくしかないですね。今は必死になる時。

 

自分を大切に生きていきたい。一日も後悔したくないし、今がほんとに大事だって感じています。

強く、おおらかに、まっとうに生きよう。

人を引き付けるということと、その人の価値って違うよねという話

先日、偶然ネット記事で昔の知り合いが団体を起こして活動しているのを知りました。

 

大学生時代、私は1年間ほど小学生向けの学習支援のボランティアに参加していたのですが、その時のメンバーの男性で、正直、あまり人間的に好きになれなかった人でした。

 

私より2つ年上だったので28歳のはずですが、脱サラして自分のやりたいことをやるってことらしいです。

 

そして、その人がやってる団体もやっぱり子ども支援系のようで、しかもそれが私がやりたいなと思っていたようなことにも少し近くて、

そういうことをもうやってる人がいるんだっていう先を越されてしまったような落胆と、しかもそれが「あの人か・・・」っていう複雑な気持ちになりました。

 

ここ数年、こうした若者が立ち上げた社会的意義を掲げた団体を数多く見てきました。

それは、私自身にも自分の中の理想を形にしたいとか、そういう志のようなものがあって、

そういう志を実現させるために大学まで努力してきて仕事を選んだはずだったのに、職場では何一つ大事にしたかったことを実現することができず、

やっぱり会社なんてだめだ、こんな人たちとこんな仕事をして時間を過ごしている場合じゃないなどと焦りまくった結果、

「団体を作る」とか「新しい支援の形を作る」とか、そういうのに異常なほど憧れを抱いてしまったんですね。

 

きっと、ほとんどの若い人は会社に入って年功序列の一番下になり、自分の理想や常識を木っ端みじんに踏みつぶされる経験をして、「こんなはずじゃなかった」という気持ちを抱くんですよね。

そして、先の見えない抑圧的な生活をしていると、若い人や先進的な考えを持った人だけで集まって、エネルギッシュに働いている人たちが無性に素敵に見えてしまう。

リーダーやその仲間たちがビジュアル的にも見栄えが良いと文句なしです(笑)

 

自分の会社の冴えない中高年上司の下で自分を押し殺しているのはもったいない、

私はもっと成長したいし、自分の力を発揮したいっていつも思ってました。

 

だから、いろんな団体のセミナーやイベントにお金を払って参加したし、

時には休日を割いてボランティアとして手伝いもしたし、いろんな人を知りました。

 

そして、今一つ結論として感じているのが、そうした活動をもてはやす社会への「違和感」です。

子どもの貧困支援、若者と向き合う、社会的マイノリティへの支援・・・。

どれも、とても高尚で社会に必要なもののように聞こえます。

でも、実際には、そういう活動をしていてメディアにとりあげられているような人でも、人間としてはとても良質とは言えないような人が結構たくさんいました。

具体的に感じたのは、「人を見下す」「計算高い」「自分をよく見せることにお金をかける」「二面性がある」などです。

 

つまり、ビジネスマンか芸能人のようなものですね。

志はもちろんある。けれども、もっと本質的なところに、

「他人に影響力を与える人間になりたい」とか、

「大勢の人の中心にいる自分が好き」などの自己顕示欲が原動力としてある人たちで、

しかも本当に人を引き付ける要素をたくさん持っていて、ある部分においては一定の成果を出せるんです。

 

そして、私もそういう人達に引き付けられてしまった一人・・・。

 

その結果、本当に不愉快な思いをして、結構な時間とお金を取られました。

純粋な気持ちで社会に貢献したい、自分自身を成長させたい、そしてあわよくば凄そうな人と一緒にいることで未来を切り開きたい・・・!

そんな無垢で無知な考えだったからこそ、そういう人たちに利用されたんだと。

 

今は、自分からそんな人達にすり寄るようなことをしてしまったことを猛烈に後悔し反省しています。

でもこの不都合な真実を知って、やっぱり許せないしほっときたくないなと思う気持ちもあるんです。

だって、質が悪い。傷ついている人や弱い立場の人への支援をうたいながら、陰では有名になることを楽しみ、お金を稼いで団体を大きくしようと考えている人たちに関わることで、

本当に支援を必要としている人たちがもっと傷つき、人生が更に困難なものになってしまうと思うと本当にやり切れません。

 

助けを求めてかえってそういう人たちに関わってしまう悲劇に見舞われる人が少しでも少なくなるよう、私が感じたことを少しまとめます。

 

●メディアで見栄えの良いものを信用しない

 →若い、美男美女、笑顔が素敵。これらはその人たちが良いことをしているということとは何のつながりもありません。

 

●大勢の人に囲まれている人を信用しない

 →若ければ若いほど、有名な人や社会的に権威のある人,あるいはそれらに繋がりがある人などを見ると凄いと思ってしまったり、大勢の仲間で何かやるって素敵だなと考えてしまいがちですが、これもまたその人達の本質的な価値とは関係ないですよね。

 

 

●言葉で語られる経歴や想いを鵜吞みにしない

 →これも、その人がどういう人なのかというのが現れるわけではなく、能力の一つだと思いました。自己演出がうまければいくらでも魅力的に見せられます。

 

でも、実際何歳になってもこういった要素に判断を左右されてしまう部分はありますよね…。

そこをついてくるのがメディアの時代ですし。

でもやっぱり、人生を豊かにするならば、素晴らしいと思うものは自分で決めて、心の交流ができる人と過ごすのがが一番だと思いました

焦らず、計算せず、失敗しながらも自分らしさを作っていければいいかなと思います。

「違和感」のある「凄い」人たちと出会うことで、自分の中の浅ましさや器の小ささ、そして価値観や人間性を発見し、そうはなりたくないと決めさせてくれたのだから、これも勉強ですね。

 

でも、子どものときには絶対に会いたくなかったなぁ。こういう人たちの思想や言葉がもっと心の奥深くに入り込むような心の状態だったら、ほんとに大変だった。

 

外国に行ったら、もっと多様な背景を持った人がいるんでしょうね。

楽しみでもあり、気を引き締めていかなきゃなと思います!

でも心を開いて、私という人間のままで堂々と日々を楽しむぞ!!

 

 

将来の選択肢のこと

不登校の状態にある本人やその親が心配し悩んでいるのが、

「苦しい今の状態」と

「将来のこと」だと思います。

 

「将来のこと」に関しては、具体的には将来”友人や家族を持つなど社会的な生活を送れるのか”という不安と、より現実的に”経済的に自立できるか”という二つがあるんじゃないかと思います。

 

どちらのほうがより比重が大きいのかというと、もしかしたら今よりも将来を悲観して気持ちを落ち込ませる人のほうが多いのではないでしょうか...?

 

「学校に行かない」=「まともな人生は終わり」

ではまったくないです!と、私は言いたいです。

 

ただ、あえて「まともな」とつけてみたのが、昔の私や親にとってのベストな人生が『小・中・高と充実した学校生活を送り、そこで質の良い友達をたくさん作り、良い大学に行って稼ぎが良く体裁も良い仕事に就く』というようなものだったため。

 

でもね、いま苦しんでいる本人に伝えたいのは、いままでに起こったことすべて、抱えたままでも生きていけます。

小学校・中学校をどれほど休もうと、地元に友達が一人もいなかろうと、

自分の心の中で感じているほど世間では重要なことではありません。

 

ひけめに感じていることなんて、自分のとらえ方次第で他人には案外全然わからないものなんです!だから、いつからでも何度でもやり直しができます。

中学に行けていない人は、自分が行けそうな環境の高校を探してみればいい。

それは学力の問題だけでなく、例えば地元の人に会いたくなければなるべく遠いところに通うとかね。

私は高校入学のタイミングで社会復帰できたのですが、知り合いが多い地元は出歩くのすら嫌だったので、電車で30分くらいの町の学校にしました。

中学校まるまる行っていなかったので勉強は遅れており、入れる学校の選択肢も限られていたのですが、あまり頭の良くない学校にいる荒れてる男子が怖かったので、学力レベルは同じでも女子高にしました。

 

本当は海外に移住したいなと思っていましたが、それはさせてもらえなかったので、

それ以外でそのときあった選択肢の中でできる最良のことをしました。

そして、生活する中で不安な気持ちを引き起こしそうなことは徹底的に排除して、「ダメだったら辞めればいいや」

という気持ちでリラックスして望むこと。

私の場合、この姿勢がそれからの人生をいつも次のステージに押し上げてくれました。

 

高校受験が失敗したら失敗したでまた家にいながら別のやりたいこと探せばいいし、

受かってからも途中でまた死にたくなるほどしんどくなったらいつでもやめようと思ってました!

結果として、それくらいの気持ちで一日一日「もうちょっとだけ頑張ってみようかな(でもほんとに無理ならここまで頑張ったけどいつでも手放してもいいぞ)」と過ごすうち、

気づけば2年生からはほぼ皆勤賞で、最終的に学年一位の成績で卒業し(体育と家庭科以外)、MARCHクラスの大学に合格できました。嘘みたいですけど、本当の話です。

そして、だからと言ってその後の私の人生が幸せなサクセスストーリーになったわけでもありません(笑)

 

 

どんなに努力しても、次のステージが良いものである保証なんてない。でも、それでもよし。

いくらでも道はあるし、自分でそのことを知っているのが一番大事なんだと思います。

この思想と経験、その後の人生で本当に支えになっています。

逆に、最初に挙げたような『小中高と順調な人生』に価値観を置こうとすると、すぐ病みます。

 

ちなみに私の親は、私が大学に入学した時点で子どもが「まとも」な人生に戻れたと思ったらしく、もはや不登校で苦しんだことは過去のことだと認識しているみたいです。

でも、率直に言うと本人にとっては過去にはなりません。ずっと人生の一部であり、抱えていくものです。

だけど、もし今将来のことを心配しているのなら、今心配しているほとんどのことが将来現実になってもなんてことはない!と伝えたい。

だって、今の価値観で生きていけなくとも、世の中には本当にたくさんの人がいて、場所があって、考え方があるんです。

順風満帆だったのに大人になってから大きくつまづく人もいる。それで、それまでの人生からすべて変わってしまう人もいるでしょう。

親御さんにとってはまさに子どもの不登校が青天の霹靂な大きな出来事かもしれません。

でも、悪いことが現実になったからといって、人生は終わりません。

 

今日も苦しんで、何もできず終わってしまった。

そう考えている人がいたら、この記事を読んだことで何かしらを感じて、心が動いた。

それでけでも良しと考えてみてください!

このブログに限らず、なんでも、自分で行動したことはすべて小さな小さなきっかけに出来ます。

昨日までの自分を苦しめる考え方からは距離をとって!それはもう必要ない考え方です。

今の状態から少しでも抜け出すためになるヒントとなる考えを持った人が、世の中にはたくさん待っていますよ!

次のステップは、カナダ・バンクーバー!

 

今日は、今私がやりたいことを告白します!

 

ずばり、『海外で暮らす』ことです!!

 

 

むかし、引きこもっていて辛い時、いつも海外の映画やドラマを見てはその社会にあこがれていました。

 

アメリカのホームドラマの『フルハウス』を観て、フレンドリーで会話の絶えない家族の形に憧れ、

 

フランスの『あの夏の子どもたち』という映画を見て、家族の難しさや人生の美しさを感じ、

 

オーストラリアの『気分はぐるぐる(邦題)』という小学生の女の子が主人公のドラマもとても記憶に残っていて、

外国の小学生ってこんな感じなのかな?とかわくわくしたり。

 

『ハイスクールミュージカル』という作品も大好きでした。歌やダンスで自己を表現して、お互いにぶつかりながらも成長していく明るい物語・・・。

 

作品とはいえ、思っていることをごく自然に言葉に出し合うコミュニケーションの文化、やっぱり素敵だなと思うんです。

 

私は、日本人の中でもたぶんとりわけ気を使って言葉少なくなってしまうタイプ。

親戚の家ですら遠慮してくつろげません。

そんな私ですが、実はそういう態度というか価値観が、環境から作られたものなんじゃないかなーという思いがずっとあって。

 

日本人にだって、思ったことをすぐ言える人や、周囲に気負わず誰とでもコミュニケーションが取れる人は大勢いると思いますが、

私に限って言えば、そういうことをしてもいいんだと感じられない環境で過ごしてきたことを自分自身が負い目に感じているんですね。

 

だから、ずっと自分を取り囲んできたものとは完全に違う価値観の世界に憧れていて、

それが私の中でずっとわくわくする気持ちを呼び起こしてくれるキーワードでした。

 

それなのに、超引っ込み思案な私は学生時代とうとう一度も海外に行かず・・・。

 

ずっと夢だった留学も経験せず社会人になってしまい、「もう夢は絶たれたな~…」と思っていたのですが!

 

むしろ、社会に出てからいろんな人に会い、

人って歳をとればとるほどそれぞれがいろんなバックグラウンドや歴史を持っているんだなぁと感じ、最初に入った会社でキャリアを積んでいくことに人生を捧げるはずだった自分の価値観が変わりました。

 

10代前半という早い時期に不登校という大きな挫折を経験したおかげで、自分は波乱万丈な人生を送ってきた人間なんだと自負していましたが、全然。

まだまだ自分の価値観は変わる余地があるし、まだまだ挑戦し失敗し、学ぶことがたくさんあるとすっと思えるようになったんです。

 

むしろ、苦労したからこそ人生を積極的に生きたいなという思いや、自分や人をもっと大切にしたいなと思うようになりました。

 

それで、悩んで悩んで悩みぬいて、出した答えは今の会社を辞めて海外で生活してみようということでした。

 

 

何の当てもなくていい、語学をマスターするとか海外の大学で学位をとるとか、人生をより有利にするための行動じゃなくて、

自分の人生を生きるために、やりたいことをやると決断する。

そして、責任を持つ。

 

じつは、最初に就職した会社が、全然合わなかったんです。

思えば、苦しい10代を歯を食いしばって乗り越えて、就職活動も最後の最後まで手を抜かず頑張り通して選んだ仕事だったのに、全く求めていたような社会人生活を送れず、がっかりともやもやのなかで20代も半ばまで過ごしてしましました。

 

起こったことは変えられないし、理不尽だったけど仕方のないこともある。

けれど人生は一度きりだし、常に明日があるわけでもない!

急にそんなことを強く意識するようになって、

だから生きていることを大事にして、やりたいことをやって、それで失敗したら自分のせいだけど、それは紛れもなく自分の人生をいきているってことだって考えるようになりました。

 

そしたら、自ずと次のステップとして、『海外で暮らす』が見えてきました。

 

 

「暮らす」って、働いたり、遊んだり、ご飯作ったり家の掃除したり税金払ったり色々あって「暮らす」だと思うんです。

 

ちょっと前なら「留学」を考えただろうけど、現実味のない楽しく充実したことにお金を使うより、泣いたり笑ったり悩んだりという、「生きる」ことそのものを違う社外で経験したいなって思い、ワーキングホリデーにしました。

 

そして、渡航先は多様な人種が暮らす国、カナダです。

 

なんとなく、ずっと行ってみたかった国。また、男女の平等や環境などで先進的な考えを持った社会であるという印象が強く、そこもすごく惹かれます。

 

日本で生活する中で疑問を抱いていた社会の課題を、存分に見聞きしてきたいと思います。

 

このブログでは、海外の取り組みで私が気になったことなども積極的に紹介していければと思います。

まだ日本にいるんですけどね♪

 

ピンクのシャツを着ていじめ反対!2月22日はピンクシャツデー! | LifeVancouver カナダ・バンクーバー現地情報

 

不登校の卒業生として。

はじめまして。Liliee(りりー)と申します。

この度はこのブログにご興味を持っていただき、ありがとうございます。

 

私は、小学校6年生から中学校を卒業するまで、深刻な心の病を患い

家から一歩も出ることができないでいました。

 

今から10年以上前になります。

 

当時、子どもの心の病について社会的に認識が浅く、

困難な環境で10代を過ごさねばなりませんでした。

 

しかし、高校入学後はなんとか社会生活を取り戻し、地元を離れ大学に進学後、

現在は東京で元気に働いています。

 

ですが、10代前半での自分の困難な経験はとてもインパクトが強く、

自分と同じような思いをしている人を助けたいという思いを

ずっと抱いてきました。

 

そのため、子どもに学習支援をするボランティアや、

貧困問題に取り組むNPOの手伝い、

また国を超えて国際協力として様々な形で子ども支援をしている団体に関わってきましたが、

そうして様々なことに参加するたびに、私が本当に実現したいことはこうした活発な活動より、

もっとささやかで根本的なことであると気づきました。

 

それは、10年前の私が家から一歩も出られず、子ども故に行動や付き合う人が限られ、

誰にも会えない中で辛い状況を抜け出すために外の世界の誰かに手を差し伸べて欲しかった、

その気持ちに応えること。

 

それぞれの事情や状況で気軽に支援の場所に来れない人にこそ、

私が直面し乗り越えてきた経験を発信することで、元気を出すほんとに小さなきっかけになればいいなと思い

ブログを書くことにしました。

 

ささやかですが、自分が経験してきた中で欲しかった情報や、

こんな世界があったのか!と自分で感じたことの紹介をしていきたいと思います。

 

このブログが誰かにとって安心できる場所、

希望を持てる場所になれるよう頑張ろうと思いますので、

どうぞよろしくお願いします!